旅行記 冬の隠岐 【1-3】西ノ島から中ノ島へ
2015年12月31日(木) |
西ノ島の史跡を巡る
国賀海岸観光を終え、観光案内所でいただいたパンフレットを眺めながら次なる目的地をリサーチする。すると、国賀海岸を一望する展望台という気になるスポットを発見。ここから車で5分程度というところか。
急行!!
(画像にカーソルを合わせると、ズームの写真になります)
15:10
赤尾展望台到着。直線距離300mの高台から国賀海岸を俯瞰する。
複雑に点在する岩、岩、岩。綺麗に縞模様になった地層。テーブルマウンテンのように平らな丘。見れば見るほどに面白い地形だ。日本に8ヶ所しかない、世界ジオパークに認定されているだけのことはある。
この展望台の存在は全く知らなかったが、なかなかの穴場だ。土地の情報は、やはり現地で入手したパンフレットが一番詳しいと思う。
15:30
由良比女神社。隠岐国の一宮で、漁業・海上の守護神として信仰されている神社だ。昔々、由良比女命が海を渡る際、海に浸した由良比女命の手をイカが引っ張ったため、そのお詫びとして毎年由良の浜にイカが押し寄せるようになったのだと伝えられている。
社の周りの木々には、イカの飾りが沢山吊るされている。神社の由来を知らなければ、シュールとも思える光景だ。
そして、ここが、そのイカが押し寄せるようになった浜、その名も「イカ寄せ浜」。イカを拾っている姿を描いたボード(何故かサザエさんタッチ)が、海に設置されており、こちらもなかなかシュール。
なお、「イカ寄せ浜」は伝承の中だけのお話というわけではなく、実際に冬期は湾の奥までイカが泳いできて、時には打ち上げられることもあるのだとか。潮汐、産卵等、原因に関しては諸説あるが、はっきりとは分かっていないようだ。
そろそろ、次の島へ行く時間が近づいてきた。レンタカーを返し、港周辺を散策することにしよう。
16:10
レンタカーを返却し、徒歩で散策し始めた直後にまさかの雨。余程日頃の行いが悪いのか…?
こちらは黒木御所跡。隠岐に流された後醍醐天皇が、1年間過ごした場所だ。「黒木」というのは、皮を削っていない木材を意味する。皮を削らない、つまり木材を加工せず、急遽造られた粗末な御所であったようだ。
流罪…。
我々は2時間半寝ているだけで、隠岐に到着した。しかし、当時の舟で島流しというのは、もはや死刑宣告に等しい程、危険な船旅だったに違いない。
我々は2時間半寝ているだけで、隠岐に到着した。しかし、当時の舟で島流しというのは、もはや死刑宣告に等しい程、危険な船旅だったに違いない。
16:20
港へ戻る途中、営業している酒屋を発見。しめしめ、今宵のお供はこちらで手に入れよう。…ということで、吸い寄せられるように入店。
隠岐酒造の隠岐誉(ワンカップ)を購入した。ついでに、ビールとおつまみも…。
そんなこんなで所用を済ませ、出航の30分前にフェリーターミナルに到着。待合室は畳敷きの小上がりになっており、居心地が非常に良い。先ほど買ってきたビールと小魚で、一足早いプチ宴会。旅先で、しかも日が沈まぬうちに飲む酒は、やはり格別だ。
年越しの舞台、中ノ島へ
こちらが島前内航船「いそかぜ」。本土と島前、島後を結ぶ隠岐汽船とは別に、島前の3島(西ノ島、中ノ島、知夫里島)を行き来する短距離航路だ。島から島へは時間にして10分前後、金額にして300円(均一料金)で渡ることができる。しかも、結構な本数が運行されている(今回は年末年始ダイヤなので、少なめ)。それだけ島前は島同士の結びつきが強く、往来が頻繁にあるということだろう。
しかし、島前内航船の時刻表はとても分かりにくい。運行している隠岐観光(株)のサイトには時刻表が掲載されておらず、何故か島前各町村のサイトを見なくてはならない。ダイヤも時期によって異なるので、利用する方は事前にチェックしておくことが重要だ。
17:15
今夜の宿がある中ノ島へと向けて出港。乗客のほとんどは地元民らしき人々。意外と混雑している(写真は、大勢が乗り込んでくる前に撮影したので、ガラガラだが…)。何と言うか、路線バスのようなローカルな雰囲気だ。
別府港を出た船は、ブィーンと一気に加速し、静かな湾を滑るように進んでゆく。隠岐汽船のフェリーを優雅に泳ぐクジラに例えるならば、こちらはさながらトビウオのよう。
17:23
乗船時間僅か8分で、中ノ島(海士町)の菱浦港に到着した。
今夜の宿は但馬屋。港からは離れているので、観光協会の方が迎えに来てくれるという。船から降り、キョロキョロしていると、観光協会の方らしき青年が。
青年「但馬屋にお泊りの代官さんですか?」
私「はい、代官です。お世話になります。あの…もしかして…観光協会のAさんですか?」
青年「あ…はい、そうですが…。」
何故、私が初対面の青年、Aさんの名前を知っていたのか。実は拓北君、私とAさんには共通の知人がいる。それを知ったのは、旅立つ直前であった。年末年始に隠岐に行くという話をしていたところ、友人のガッツ君(ベトナム旅行に一緒に行った友人)から思わぬ一言が。
「隠岐の海士町というところに、俺の高校時代の友達がいるよ!」
海士町は先進的なまちづくりで知られており、離島でありながら多くの若者が移住し、積極的に働いている。なんと島の人口2,400人のうち、約1割が移住者なのだそうだ。Aさんもそのうちの一人だ。
Aさんに関する情報を事前に詳しく聞いていたわけではないのだが、自分と同じくらいの年齢で…、あとは雰囲気でピンと来たのだ。世の中狭いものである。
「ガッツは元気にしてますか?」
共通の友人の話題で盛り上がりつつ、Aさんの運転で、夕闇の中ノ島の道を進む。
何となく聞いてみた。
「観光協会は、今日までお仕事なんですか?」
何となく聞いてみた。
「観光協会は、今日までお仕事なんですか?」
すると、「いえ、もうお正月休みなんですが、交代で宿直しているんです。僕はこちらで正月を過ごすので、今日と明日は僕の担当なんです。」
そんなAさんの答えを聞いてハッとした。正直なところ、正月に呑気に旅をする変わり者など、世の中にそれ程多くはいないだろう。「お正月なので…」と、来訪者を受け入れる体制が整っていなくても全く問題ないと思うし、それが普通だ。しかし、ここ海士町は優しく門戸を開いていてくれたのだ。その懐の深さに感激すると同時に、「正月に旅をしても歓迎されていない」と勝手に卑屈になっていた自分を恥じた。
明日の昼過ぎまでの短い時間だが、海士町では気持ちの良い時間を過ごせそうだな…。
10分程で但馬屋に到着。
「では、また明日の朝8時半に」と残してAさんは去って行った。
「良いお年を!」
10分程で但馬屋に到着。
「では、また明日の朝8時半に」と残してAさんは去って行った。
「良いお年を!」
地産地消の食事、女将さんによる踊り、但馬屋は素晴らしい宿!
さて、結論から言おう。但馬屋は素晴らしい宿だった。
事前に情報を仕入れていたとおり、食材は地元のものばかり。魚介類は、ご主人が宿の目の前の入り江で今朝採ってきたもの。野菜は家の畑で育てている。サザエ、アワビ、イカ…どれもこれもピチピチ!!そして買ってきた隠岐誉をチビリ。
うーむ、至福の時。
うーむ、至福の時。
この宿はこれだけでは終わらない。女将さんが海士町に伝わる民謡、「キンニャモニャ」を披露してくれるのだ。高らかな声で歌い、しゃもじを持って踊る姿にしばし目を奪われる。三味線を弾くお兄さんとの息もピッタリだ。
キンニャモニャは海士町では老若男女が歌って踊れる民謡。年に一度のキンニャモニャ祭りでは1,000人規模の踊りも披露されるそうだ。島の人口が2,300人であることを考えると、物凄い規模であることが分かる。ちなみに「キンニャモニャ」という不思議な響きの名前の由来を尋ねてみると、「ハッキリ分かっていない」とのこと。
キンニャモニャを楽しんだ後は、女将さんとの会話を楽しみながらノンビリと飲む。マッタリと過ぎる大晦日の夜。この感じが良い。
年越しまで起きていることもなく、眠くなってきたので部屋に戻り、布団の中へ。明日は早起きして初日の出を見に行くのだ。こうして、2015年は静かに終わりを告げた。
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|投稿:2016.11.15 | 最終更新:2019.02.19 |カテゴリ: 旅行記